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village society

not very good at discussions.

real intention and public stance

日本から大手テックが出ない理由の考察

GAFAなどを見ていて感じることの中に何故日本からGAFAのような会社が誕生してこないのか考える事があります。

Grobalな考え方、文化感、言語の問題や国際間のイニシアティブなど様々な問題点があると考えていますが、大きな理由に日本人が議論に対してネガティブなイメージを持ち、激論や批判に対して抵抗感を持っていることがあるのではないかと感じた事をまとめてみました。

Githubに見る文化感の違い

今やソフトウェアはオープンソースと言われる誰でも開発に参加し誰でも使用できるソフトウェアが無償で配布され自由に使用することができます。クレジットやソースの公開など条件はありますが、世のテックはこのオープンソースを元に生まれたものも多々あります。

Githubはソフトウェアの共同開発ツールであり元々は共同開発のバージョン管理をするために生まれています。Githubを訪問し興味のあるオープンソースを見て感じるのは、日本人が参加している例が極端に少ない事です。

言葉の問題はあるのですが、日本人の文化に公開討論の機会があまりなく、もっと突き詰めると討論や議論でものを決めていくのではなく事前の根回しでほとんどが決まってしまう社会構造があります。

この風習から日本人独特の文化感に本音と建前というのがあります。日本社会では美徳とされグローバルな社会では軽蔑されてしまう意識が抜けていない事が今回書いている日本からGAFAのような会社が出てこない根本的な理由なのではと考える事があります。

GAFAの例は極端ですが、Githubのオープンソースにこんなすごいプログラムをタダで配るってすごいなと感じる事があります。そこに日本人の影は全く見当たりません。

Githubに大小問わずグローバルな人材が開発したオープンソースが溢れながら、日本人が開発したオープンソースが皆無な理由を考えてみると、グローバルな人材にも目的があり、その目的を達成するために、日夜苦労して開発したプログラムを無償で配布しています。

ケースはいくつかあるのですが、オープンソースが商用として採用され、世に広まると開発者に注目が集まり、資金などが提供されます。もう少し小さなケースですが、大手のテックが高額な報酬でスカウトするケースもあります。

この事を考えると、グローバル社会の常識のようなものと日本人の常識の違いがあることに気がつきます。

グローバルな人材がGithubで何をしているかと言うと簡単に言えば自分の売り込みをしています。そこには建前など無く、自分の持つ能力を世間にアピールし評価してもらう事に心血を注いだ結果が苦労して開発したプログラムを無償で配布したり、ボランティアで開発に関わっている行動となっています。

ここで、日本人の話に戻りますが、Githubのような公開された場で行きすぎたくらいの自己アピールは恐らくほとんどの方が出来ないのではないでしょうか。

そのことがGithubで日本人が活躍しているケースを見かけない大きな理由であり、今や多くの人材を巻き込み物凄いスピードで巨大化するGAFAのような事業体を作り上げる事が難しい理由でもあるのかなと考えています。

かく言う私も日本人であるのでどこか本音と建前や村社会的な考え、議論より根回しという日本人的な文化感を持っています。ただグローバルなマーケットにおいてその事が足枷になってしまうことも感じておりこの記事を書いています。

この話にはいくつかの付随する話があるのですが、話が長くなってしまうのでまた別の機会にお話しできればと考えています。